トイストーリー評 〜映画の伝えたいメッセージ〜
【前置き】
1995年公開
監督 ジョン・ラセター
脚本 ジョス・ウィードン
アンドリュー・スタントン
→こやつが今後監督として結構出てくるでぇー
ジョエル・コーエン
アレック・ソコロウ
【あらすじ】
今更いいでしょう!省略!
【概要】
世界初の全編CG長編アニメーション作品!!
前評判は
「CGで長編アニメーション?!」
「しかも映画!!?!」
→これが本当に大変だった
CG長編アニメーションなんて前例がない。
前例無き挑戦的な今作におもちゃメーカーは自社のおもちゃの映画出演オファーに難色を示す、、、。
期待値半ばかそれ以下の中ジョン・ラセター達の途方もない努力の末
「トイストーリー」は大成功!!
【テーマと評と感想】
さて今作のメインテーマは「憧れと現実」
余談だけど
ピクサーって
子供が鼻垂らして親に観に行きたいって駄々こねて付き添った親が涙涙の親泣き映画なのよね。子どもは当たり前に楽しめて大人までも楽しめちゃう。それくらい良くできてる。
話は戻り
「憧れと現実」は僕らにとって普遍的な話だと思う。誰しもが憧れの自分を思い描く。一方でそんな自分とは程遠い自分がいる。憧れと現実の狭間に苦しんだことは誰しもがあるだろう。「トイストーリー」はそんな苦しみに一筋の光となりうる答えをくれるのだ。
作中で「バズ」はスペースレンジャーという名の"憧れの自分"を信じて疑わない。しかし、"現実の自分"はおもちゃであり、スペースレンジャーではない。憧れはの自分にはどうやってもなれない。その事実を知りゆっくりとまぶたを閉じるシーンは残酷という他ないだろう。
僕自身も無類の音楽好きだ。ギターを愛している。憧れは小出祐介のようなセンス。しかし、現実は音楽的才能のかけらもなく平凡そのもの。音がに対して「大好きだから」「本気だから」という思いを本当に持っている。でも、その道に才能を欠いていたらどれほど辛いだろうか。憧れの自分にはなれない。現実の分相応の自分に納得しなければいけない。
誰しもが多かれ少なかれそんな辛い気持ちを心に飼っているだろうと僕は思う。
バズ、、、、、バズだってきっとそうだっただろう。
ではそんなバズはどんな答えを選んだだろうか?
バズはおもちゃとしての幸せを選んだ。つまりは現実の自分、言い換えるなら憧れを諦めた姿を受け入れ納得し進むことにしたのだ。
しかしながら、それはネガティブな諦めではない。たしかに、憧れには届かない。そこだけ見れば不幸だ。しかし、自分には納得できている。それは大切なことなのだ。
憧れは失う。けれど現実を受け入れた自分を磨くと想像もしない素敵な自分になれるかもしれない。
憧れと今を比べて
今の自分を変えようとするより
今の自分を成長させて
憧れとは違うけど
納得できる自分になることが大切
【感想】
かなりビターな今作。個人的にベスト級に好きなピクサー映画の一本。もう20年以上前の作品と考えると怖くもなる。やはり、良いものはいつ見ても古く感じないものだ。ジュラシックパークも93年のCGにも関わらず今となっても十分にかっこいい。話が逸れた、、、。トイストーリーに戻り。僕自身は憧れに届かず苦しんだ人間である。だからこそ、今作には特別な思い入れを深めてしまう。正直ラストのバズの「飛んでるんじゃない、落ちてるだけさ、カッコつけてな」は、、、、。苦しくてたまらん。
あれほどの憧れを持った男の言葉とは思えない。しかし、、、憧れの自分にはなれなかったけど現実の自分の最大の幸せ、言い換えるなら別の意味での自己実現である"おもちゃとしての幸せ"はがっつりホールド!!
しかも!そんな現実への納得の道が押し付けがましくないのよぉ。
でもまぁ、皆さんお気付きよね?おもちゃの運命を、、、。そこの君!家のタンスあけてみなさいよ!DX龍騎バックルがあなたを見てますよ!
この気づきに関してはトイストーリー3で解決!!
ん?トイストーリー2は?って??
そんな作品あったっけ??笑笑